おはようございます。
おずです。
今日はひとつ、本当にお伝えしたいことをお伝えします。
■自立と自由
このメルマガのテーマのひとつに自由というのがあります。
どんなに収入があっても、自由な時間がとれなくれは意味がない。
ネットだから可能な収入と自由な時間というものを。
その自由について、もう少し、掘り下げてみたいと思うのですね。
自由というのは、自立の上に成り立っていると思うんです。
時間の自由というのは、経済的な自由、金銭の自由の上になりたっていますね。
ただ、これが達成できたからといって、自由になれるか、
というと決してそんなことはないみたいなんです。
なぜかというと、精神的な自由というのがあるからです。
精神的な自立、というのができないと、精神的な自由、っていうのは
無理です。
これは最近、痛切に私自身の体験として感じます。
じゃあ、どうしたら精神的に自立できるのか、というと、
してもらったことが認識できてる、ってことなんです。
親にしてもらっていること、してもらってきたこと
これをあたりまえだと思っているうちは
自立というのはできないんですね。
しかし、ほとんどの人は、
してもらってること、してもらってきたことを
自分があたりまえだと、思っていることにすら、
全く認識がございません。
脳裏をかすめる、ということすら
ないです。
じゃあ、どうしたら認識できるのか、というと
私の知る限りはふたつの方法があります。
ひとつは、自分が実際に親になること。
何かの世話をすること。
人の役にたつこと。
これをすると、自分がした分だけ、
親っていうのは、これだけいろいろしてくれていたのか
っていうのが少しづつ分かってくる。
しかし、この場合、
気づくころには、親はこの世にいないことが多いのです。
恩返ししたいと思う頃には
地上にいらっしゃらない。
もうひとつの方法は 内観です。
はじめて聞く人の為にお伝えしますと、
内観というのは、いまでは日本発祥の、うつ病のセラピーとして
世界的に有名です。
世界的に有名なのは「naikan」「morita therapy」ぐらいでしょうか。
仏教の「身調べ」という修行にもとづいているのですが、
要するに自分が過去に、
周りの人にしてもらったこと、して返したこと、迷惑かけたことを
時系列で調べていくという作業です。
内観には集中内観と、日常内観というのがありまして。
集中内観というのは、このメルマガで何度かお伝えしております、
いわゆる内観研修所というところに出向いて
1週間ぐらいみっちりとやるものです。
日常内観というのは、その後、日々、生活する中で
朝起きた直後や、寝る前などに、1、2時間かけてする内観です。
私はずっとさぼっておったのですが
今日の朝、ひさびさにやってました。
するとやっぱり思い出されるのですね。
何度やっても、新たな発見があります。
小学校低学年のとき、母親にしてもらったこと。
・・・家からスーパーまで、片道1時間ぐらいあったんですね。
東京都なのですが、どえらい田舎町でして。
買い物にいくのに、自転車で1時間ぐらいかかったんです。
そのとき、お母さんは僕を家に一人おいておけまいと思って
毎日、マルエツまでつれてってくれた。
自転車の前の部分に妹。
僕は買ってもらったばかりの小さな自転車で。
今、思うとどれだけ大変だったのだろうかと思うのですよ。
注意散漫だし、車通りは激しいし。
僕はそもそも人の話を聞かないという特徴がありまして、
言うこと聞いてないわけです。
生きてるのが奇跡に近い。
何で生きてるのかといえば、お母さんが神経とがらせて、
注意して、車が来たら警戒してくれ、
危なかったらしかったくれたから、なんですね。
全く、今日の朝まで気づきませんでした。
これについて、してかえしたこと、など
認識すらなかったのだから、あろうはずもなく、
迷惑をかけたことといえば、
その後、買い物で、大体、僕はお母さんの買い物の手伝いなどせず、
スーパーにいったらお買い物売り場にいって待ってました。
そして、気にいったおもちゃがあるとその場を離れない。
お母さんが買い物から帰ると、買って買ってと離れない。
しまいには泣き出すは暴れるわ、それでも買ってくれないと
いじけたり、恨んだり、お母さんを悪者扱いして、ふてくされるわけです。
ほんとに、とんでもない。
・・・とまぁ、これが私の今朝の内観です。
この内観の目的、というのは、
感謝することだと思う人が多いのですが、違います。
「客観的に見る」っていうことなんです。
多くの場合、してもらってないひとつのことばかりに目がいって
してもらったことの1000のことはみようとしない傾向がある。
しかし、調べてみると、してもらったことのほうが、
してもらってないことより、圧倒的に多かったりする。
また、どんなにひどい親でも、
してくれたこと、というのはある。
それを思い出すというだけでも、
親を恨んで、親のせいで自分はこうなった、と思っている人にとっては
救いになるんです。
親のせいで不幸になったという人は、そういっている限り、幸せにはなれません。
親のせい、だから、自分では何もできないんです。
これを、「自分はどうだったのか」という見方に変えることによって
初めて自立というのができる。
そこで初めて客観的にいろんなものが見えてくる。
そうすると、いつのまにか、自由で心地よい呼吸をしている自分に気づく
という感じです。
もしかしたら、精神的自由を先に獲得したほうが、
経済的な自由を獲得することは簡単かもしれません。
内側のものが、外側にあらわれる、とはよく言われることだし
私もそう思います。
■編集後記
たまにはこういうメルマガもいいですね。
こういった記事は、ちょくちょく書きたいです。
こればっかりというのも、多分飽きますが、
技術面ばっかり、商材の紹介ばっかりだと、それも僕自身退屈なんですね。
もともと気分やなのでどうなるか分かりませんが、
しかし、こういうことこそ、メルマガでやる意味みたいのがある気がしないでもない。
ほかにするところって、なくないですか?
まぁ、基本的にはやりたいからやってるだけなんですけどね。
感想、お便りはこちらまで。